新しい者へと造り変えられた

 

ギャンブルや酒、たばこが若い頃から大好きで、それ無しの生活は考えられない者でした。救われてからもたびたび神さまから離れてしまった私を、神さまはあわれみと恵みによって、まったく新しく造り変えて下さいました。
私は、今から約14年前にイエスさまを信じ、救われ、1998年1月1日に洗礼を受けました。
キリスト教というなら外国の宗教であり、自分には関係のないものとずっとそう思って生きて来ていましたが、先に妻が救われ、妻の勧めによって、教会に行くようになりました。その頃は、夫婦仲も悪く、家庭もぼろぼろで、いつ離婚してもおかしくない状態でした。
私は、ギャンブルや酒、たばこが若いころから大好きで、中学のころからシンナー等をやっていて、高校の時には毎晩お酒を飲んでいました。だからギャンブ ル、お酒、たばこのない生活は考えられない者でした。教会に行く中でギャンブルや酒やたばこ等は、やってはいけないという事を知りました。心のどこかで は、いつかは止めなければならないという、そのような気持ちがあったのですが、現実にはなかなか止められませんでした。
人生面においてもそうなのですが、私は無知のゆえに、神さまにケンカを売っていたのかもしれません。御言葉に神を試みてはならないという箇所があります が、私はバリバリ神さまを試していたような気がします。「この俺を変えられるものなら変えてみろ」とその当時は思っていました。今、思えば何と愚かな事を したと思っています。

 

神様から離れて、増える負債に苦しむ日々

その後、献身に導かれ、神学校で学び始めましたが、まだまだ心が定まらず、たばこ、酒を止められず、ギャンブルもしていました。また、仕事を優先 していて、後では、神学校は名前ばかりで通わなくなり、日曜礼拝も行ったり行かなかったりとなり、神さまから心が離れてしまいました。神さまから離れてし まっていたがゆえに、仕事面においても、家庭面においても、悪い方へと進んで行ってしまいました。その当時は自分で建設業をしていました。仕事もうまく行 かず負債が増えるばかりでした。
おまけに、パチンコが好きで勝っても負けても毎日のように通っていました。そうするうちに負債が増え、返済ができなくなり、そして、ヤミ金まで手を出し てしまい、きびしい取り立てを受けるようになりました。やくざからの取り立ての電話がかかるようになり、日々おびえて生活をするようになりました。自分で はどうする事もできず、警察に相談に行った事もあります。この時の自分はまったくといってよいほど信仰がなく、祈ったり感謝したりする事がなかったので す。神さまに祈り求める事すらできないで、ただ、自分の考えで行動をとっていました。このような状況は妻も知りませんでした。いよいよもうどうする事もで きない状況になりましたが、神様に頼るより、お酒に逃げていました。

 

自殺を図るも…「わたしの所に来なさい」

そんな中、もう死にたいという思いが来て、死のうと思いました。自分が死ねば保険金が入りそして保険金で借金が返せる、家族には迷惑かけずに済む と思ったのでした。釣りが好きだったので、川でおぼれて死んだ事にしようと思って、川に行きました。ウィスキーをがぶ飲みし、川に飛び込もうとして足がす くみましたが、思いっきり飛び込みました。そこは滝になっていて渦(うず)をまいていました。もう死ぬんだなーと思いましたが、気づいた時にはその渦(う ず)をすり抜けて下流の方に流されて、何十メートル流されたでしょうか? 気がつけば足が届くところにいました。もう1度飛び込み直そうとしましたが、そ の時、「わたしの所に来なさい」という声が聞こえました。その声で自殺する事を止めました。今思うと、その声は神さまの声だったと思います。そして、気が つけば神さまに感謝の祈りを捧げていました。神さまが触れて下さったのです。その時、自分は何をしているんだろうと思いました。そして、今度は逆に、死に たいから「生きたい」という気持ちになりました。
それから妻に借金の事を打ち明けました。全ての事を言って全ての事を神さまにゆだねようと思いました。妻の反応は意外と冷静で、ここ2、3日私の様子が おかしい事に気づいていて、自殺未遂を起こした日においては、私の為に祈る事が導かれていて、とりなしの祈りをしていた事を聞きました。それから夫婦で感 謝の祈りをしました。自己破産はしたくはなかったのですが、自己破産をしました。でもそのおかげでカードも使えなくなりお金も借りられない状態になり、神 さまに感謝しました。
今、思えばこの自殺未遂があったからこそ、神さまのあわれみや恵みを知り、本当に神さまはおられるんだなという事を実感しました。自殺未遂によって、神さまの愛を知り、ギャンブルを完全に止める事ができました。
「すべてのことについて感謝しなさい。」「すべての事を働かせて益としてくださる」という神の言葉がありますが、本当にその通りです。その事があって心を入れかえて再び献身の道を選び、もう1度神学校に入りました。

 

お酒を完全に止められた

お酒は、15歳ごろから飲んでいました。かつてはお酒を飲んで車の運転もしていて、2回ほど酒気帯び運転で捕まっています。酒ぐせは、すごく悪かったのです。クリスチャンになってからも毎晩、お酒を飲んでいました。
ある時、酒に酔っていて娘を叱り、娘の頭を殴ってしまいました。その時、神さまの守りで娘の頭はどうもなくて、自分の手は骨折しました。しばらくは、仕 事ができず、その時、神さまから深い悔い改めが導かれました。娘を殴ってしまった事を悔い改め、今まで酒で犯してきた罪、いろんな事が思い起こされ、神さ まの前に出て真実な悔い改めをしました。また、本気で酒を止められるようにと神さまに祈りました。
次の日から、30年間飲み続けてきたお酒を、完全に止める事が出来ました。神さまの御名をほめたたえます。お酒を止めて6年が経ちました。会社の飲み会に参加しても、ぜんぜんお酒をほしいとも思わず、はっきりと自分はお酒は飲めない事を伝えています。

 

「主は待っておられる」

神学校に戻り、最初の数年間は調子良く行っていましたが、それでも献身しきれていない自分がいました。再び仕事を取ってしまい、神学校、礼拝をよ く休むようになりました。堕落して神から離れて行く自分がいました。そして御心を行わないがゆえに再び、仕事においても全ての事においてもまた、行きづま りました。
ああもうだめだと思っていた時に神さまから語りかけがありました。耳元で「主のもとへ行こう、主は待っておられる」(*)という賛美が耳から離れず、特 に「主は待っておられる」というところが耳から離れません。ここは選びの時ではないかと思い、そこで本気になって心を定めました。すると悔い改めが導か れ、今までの事を本気で悔い改めて本気で感謝して祈りました。神さまは、この時から私自身を大きく変え始められたのです。
(*編集部注:「主のもとへ行こう」、雲の間にある虹出版より発行の「やすらぎの歌」ゴスペル第6集に所収)

 

たばこからの解放

次にたばこです。たばこだけは絶対止められないと思っていました。何度も止めようとがんばりましたが、最高3日が限界でした。いつかは止めないと いけないと思っていましたが、なかなか止める事ができませんでした。教会で行われる聖会、行事、キャンプなどの時は、隠れてたばこを吸っていましたが、匂 いで、周りには分かっていたと思います。
ある日、教会の牧師より、もうそろそろ、本気になって止めた方がいいと言われました。神さまを選ぶか? たばこを選ぶか? 自分にとっては選択の時でし た。本気で神さまに祈りました。「苦しまずにたばこを止める事ができるように」と。1日目…2日目…3日日ぐらいから苦しくなりましたが、神さまに感謝し ました。とにかく心を定めて神さまに感謝し続けました。そして……ハレルヤ!!主の御名をほめたたえます。完全にたばこを止める事ができました。2009 年9月から止めて1年が過ぎました。

 

新しい者へと造り変えて下さった

長い年月の中でいろんな事がありました。私が神さまから心が離れて教会に行ったり行かなかったりを繰り返している時も、妻は教会に行き続け、つながり続けました。その中で教会の恵みを受けました。
最近、妻との会話が増え、神さまの事を話せて、夫婦でいる時がとても楽しいです。一番嬉しい事は、夫婦で祈れる事です。賛美隊として立って毎週日曜日路 上ライブをしている事です。神さまの働きに立っている事が私たち夫婦にとって最高の歩みと思えるようになりました。そのような夫婦に神さまは、変えて下さ いました。
親子の間も回復が与えられ、父親として、子どもが悪い事をした時、本気で愛をもって叱る事ができるようになりました。子どもの話を真剣に聞いてあげられるように変えられました。すべて神さまが変えて下さいました。
神は真実なお方であられます。そして御心の祈りを聞いて下さって全く新しい者へと造り変えて下さいました。私は身をもって神のあわれみ、恵み、神の愛を受けました。
2010年10月25日、神さまのあわれみ、恵みによって人吉教会の牧師としての按手を受けました。自分自身、まさか牧師になるとは思っていなかったので、驚いています。
神さまに心から感謝します。すべての栄光を神さまにお返しします。

 

ダビデ村上(熊本県熊本市)
(月刊「雲の間にある虹」2010年12月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)