これも神さまのご計画
自分は、御国の建設のための働きを十分に行っていないのではないかとの思いが時々来るようになりました。若い頃でしたら、私はアメリカ中、いや、外国にまで旅行して、人々に福音を伝えることができたのです。しかし、今の私にできることと言えば、神さまが私に語って下さっていると信じていることについて書くことぐらいです。
しかし、自分が役立たずだと思いたくなった時、必ず神さまが介入してくださいました。神の子となった誰か一人を用いて、私が奮い立つようなメッセージを送って下さったのです。救い主としてのイエスさまを知るのに、私が書いた本がどれほど役立ったかを話して下さった人もいました。私の本によって新しい喜びを得たという人もいました。あの本は、人をイエスさまに導くのに役立ったと言って下さった人もいました。
そう、これこそが、神の子たちがお互いに助け合う方法なのです。神さまは、ご自分の目的を達成するために、数多くの奉仕者をお持ちなのです。私たち一人一人が、神さまのご計画の中で、自分の役割を持っているのです。
“奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。”
コリント人への手紙 第一 12章5節
私たちは皆、神さまのご計画の一部を担うことが出来ます。そして、時がくれば、主は私たち全てを集め、永遠のすみかへ導いて下さいます。その時が来るまで、私たちには、一人一人に与えられた主のご計画を実行する機会が与えられているのです。
イエスさまの弟子たちは、牢獄に何年も閉じ込められて社会から遠ざけられ、出来ることと言えばものを書くだけと言うことを経験しました。そんな時、彼らはこう思いたくなったかも知れません。
”なんでこんなところに押し込められなければならないんだ? これでは、イエスさまがなさった素晴らしいことの数々や、教えて下さったことを人々に語り伝える任務などとても果たせないではないか!”
その通りです。でも、その代わり、彼らはイエスさまの教えを書き綴るのにその時間を使うことが出来たのです。
神さまは彼らを用いて、ご自身のメッセージを書籍、つまり聖書と言う形で何十億もの人たちにお与えになったのです。このことを通して、聖書すなわち神の言葉は、世界を変えて行きました!
私たちに与えられた使命は、”自分にできることをする” ことにつきます。あるいは、それ以上のことができるのかも知れません。しかし、まず、自分にできることから始めなければなりません。そして、神さまは、私たちが自分にできることを成し遂げるまで、それ以上のことをお求めになることはないでしょう。イエスさまがご自分の死を通して伝えたかったメッセージ。そのメッセージを人に伝える機会を決して逃すことがないように、主の助けを祈りましょう。
イエスさまは、神さまが下さった福音・良き知らせ、を実現してくださった方であることを、いつも心に止めておいて下さい! 神さまは、ご自身のメッセージを世に証しした人たちを、今も永遠の時においても報いて下さいます。
人をイエスさまに導くことができるかもしれない事を、するかしないか迷うとき、イエスさまは、神さまのメッセージをあなたに伝えるために死なれたことを思い出して下さい! イエスさまから頂いたメッセージを伝えるためなら、どんなリスクも物ともしなかったクリスチャンたちを思い出して下さい。人々に福音を伝えれば、追放されたり処刑されたりしかねない事を、彼らは知っていました。
忙しかったり、自分が真理と思うことを人に知られる煩わしさから、神さまが下さったチャンスを、あなた方は、いや、私もそうですが、見逃しているのかもしれません。
この事は忘れてはなりませんー”自分にできる事”をするかどうかを決めるとき、あなたは、人が永遠の命を得られるかどうかを決めているのかも知れないのです。
翻訳:奥脇省三