あなたに出来ること

 あなたは歩くことが出来ない人でした。その理由は? どこか悪い所があったのでしょうか? あなたにはちゃんと二本の足があったのです。でも、立とうとするとすぐ倒れてしまう状態でした。しかし、いつもあなたを励ましてくれる人がいて、おかげで、あなたはついに歩けるようになったのでした。
 イエスさまは申し分のない素晴らしい先生で、人々が知っておかなければならないことは何かをよくご存知でした。三年の間、神さまを信じ、すべてをお委ねしなさいと弟子たちを励まし続けてこられました。神さまはどんな必要でも満たすことがお出来になることを、色々な方法で見せて下さいました。
 そこで、ついに弟子たちもまたいくつか奇蹟を行うことができるようになりましたが、イエスさまが逮捕されると、彼らの信仰はどこかへ飛んで行ってしまったのです。後になって、彼らは聖霊に満たされます(使徒の働き 1章)。そして、病める者たちを癒し、福音を全世界に伝えるという使命を果たし始めました。
 神さまが私たちを召し、させようとなさっている事を果たすことができるようになるために、どのようにして信仰を成長させて行ったら良いのでしょう? 神さまは、私たちのことを、神の子と呼んでくださっています。だから、信仰を高めることを学び始めるには、子供が歩くことを学び始めるのと同じようにするべきなのです。家の人たちは、子供たちに手を差し伸べて、さあ、もう一歩歩いてこちらに来なさいと言います。私たちもまた、長年にわたって、私たちにこう言い続けて下さった人たちの声を聞かなくてはなりません、”神さまを信じ、全てをお委ねしなさい”と。
 私たちは、イエスさまの弟子たちが残した素晴らしい報告書を学ぶことが出来ます。彼らは、イエスさまが話されたことを信じ実行することを学んだ人たちでした。さらに、イエスさまの教えを信じた多くのクリスチャンたちが残した本を読むことも出来るのです。
 イエスさまは弟子たちに、信仰があれば山も動かすことができるとおっしゃいました。でも、それをやってみなさいとはおっしゃっていません! イエスさまが弟子たちに要求されたのは、自分たちにできる事を行い、信仰を成長をさせなさいと言う事でした。
 また、小さな種も地に蒔かれて実を結ぶ話や、羊は羊飼いに聞き従う話もして下さっています。
 人が種を地に蒔くと、種は成長して、その目的を達成します。自分の信仰がどれほど小さくても、私たちは、信じるべきものを信じ、それによって、自分の信仰を高めるすべを学ぶことが出来ます。私たちに”奇跡”を行う力がなければ、サタンは、お前たちは奇跡など行える器ではないから、そんなことは忘れてしまいなさいと言ってくるでしょう。そこでやめてしまえば、信仰の種を蒔き、それが成長するのを見る喜びを決して味わう事はないでしょう。また、たとえ、あなたの今の生活が安定したものであっても、もっと大きな信仰を必要とする緊急事態があるかも知れないことを忘れてはなりません!
 病を得て、神さまに癒しを願ったとき、神さまが癒して下さる事が信じられるまでは、自分の体に大きな変化が起きることを期待してはなりません。力の限り、信じる努力をするべきなのです。信じる信仰を育てましょう。
 もっと深く息を吸い込むことができると信じましょう。背筋をもっと伸ばすことができる、腕をもっと高くあげることができると信じましょう。
 さらに、仕事をもっと良くこなせることを、商売がもっとうまくいくことを、もっと幸せになることを、もっと良い親であることを、もっとストレスの少ない生活を信じていきましょう。
 何も喜ぶことがない時にも喜び、助けを必要としている人に、ささやかな助けの手を述べたときに喜びましょう。
 すると、何が起きるでしょう? 信仰が成長するのです。これは失敗かなと思った時に思い出して下さい。出来ると信じたことは必ず出来るとイエスさまがおっしゃっているのを。
”信じる者にとって、不可能な事はない。” (マルコの福音書 9章23節)
 あなたのゴールを達成するのは一日がかりかも知れません。一年かも知れません。いや、一生のほとんどを費やすことになるかも知れないのです。

翻訳:奥脇省三