不平ぶつぶつ、それで幸せになれますか?

あなたは不平屋さんですか? もしそうなら、あなたのつぶやきが、自分や周りの人たちの祝福になったことがありますか? つぶやいて人に元気を与えたことがありましたか? 不平をつぶやくとはどんなことか、本当の意味をご存知ですか?
いくつか例をあげてみましょう:参った、もう起きる時間だよ! あの車、前に割り込んだな! うちの上司は不公平な人だ! ひどい天気だぜ! どうせ働くだけの人生さ!
思わず不平不満を言いたくなるような例なら、誰でもいくつでも挙げることができます。アダムとエバも、神さまが彼らに隠し事をしているに違いないと思う誘惑に勝てませんでした。その結果がどうなったかは、皆さまはよくご存知です。
ブツブツ不平を呟いても、それが罪だと思う人はまずいません。不平を言えば、まずかったかなとは思うでしょう。でも、それはそれだけのことですー特に、誰にも聞かれない環境でつぶやいた時はそうです。でも、聖書、例えば、コリント人への手紙第一 10章10節などを読めば、待てよと考え直すことになります。

“また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。” コリント人への手紙 第一 10章10節

なんと、これは警告ではありませんか!。特に、”つぶやいてはいけません。”と言う御言葉に注目してください。注目すべき御言葉はもうひとつあります。

“兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。”   ヤコブの手紙 5章9節

ここでは、さらに強い言葉が使われていました。

不平をつぶやくとは、人が困難な環境におかれた時に行う、ごく自然な反応にすぎないと思われがちです。だから、至る所でつぶやく声を聞くことができます。しかし、父なる神は、私たちが、”いつでも、すべてのことについて、私たちの主、イエス・キリストの名によって父なる神に感謝”(エペソ人への手紙 5:20 )しなさいと言っておられます。だが、人には、他に従いたくないないと言う、生まれながら持っている性質がありました。
神さまは、人のつぶやきや不平不満について、人とは違う視点でみていることが多いのです。丁度、親たちが子供たちの間違いを、彼らとは違う角度から見ているのと同じことです。
でも、ここに良き知らせがありました。人が生まれながらにして持っている、従いたくないと言うこの性質を克服する方法があると言うのです! それなら、その方法をしっかり学ぶべきでしょう。
人は、”感謝すること”を訓練できると言うのです! 不平を呟きたくなると言う人の堕落した本質を克服する手段として、神さまはこの方法を備えてくださっていたのです。もし私たちが、すべてのことに感謝することを実行できるなら、神さまが、すべての問題を益として下さることが期待できるのです(ローマ人への手紙 8:28 参照)。
結構すぎて信じられない話だ、と思いますか? かって私も全く同じように思っていました。しかし、神さまは、少しづつ時間をかけて、御言葉が真実であることを私に確信させてくださったのです。かって私は、まさに不平の専門家で、そうすることにまったく罪の意識を持っていませんでした。しかし、聖霊さまが教えてくださいました。そうすることが、自分自身だけでなく周りの人たち、いや、神さまさえ、どれほど不幸にしているかと言うことをです。
神さまが人を創造されたとき、不平を呟きたいと言うガスを抜く弁を、人の体に設置されませんでした。人が不平をつぶやくなどと言うことは、ご計画のうちになかったからです。しかし、人がご自分が希望される歩みをしなかったので、神さまは驚くほど愛に満ちた対処法を考案されました。人が不平を呟きたくなりそうな事すべてを取り上げて、それらを祝福のために用いて行こうと言われるのですーもし、神さまはそうしてくださると人が信じるなら。
思い出してください。イエスさまは、人がイエスさまを信じたとき、その人たちを癒されたのではなかったですか? だから、もし人が神さまに何かして欲しいと望むなら、すでにしてくださっていることへ感謝することを学ぶべきでしょう。私たちの信仰をたてあげる助けになる事なら、なんでも大きなプラスになる事です。だから、信仰を向上させるためなら、なんでも喜んでするべきです。
神さまは、かってこの世で起こったすべての事柄を手にしておられ、それらを、この困難な世にあって私たちを助けるごための計画に用いようとされています。さらに神さまは、私たちが神さまを信じ、すべてをお委ねすることを求めていらっしゃいます。人がそれを実行するとき、神さまは、すべてを御手の内で支配され、すべてのことが最善となるようにされるのです。
そう、神さまは、私たちが不満をつぶやいた時でさえ、愛していてくださいました。さらに、神さまの御力が、私たちのうちで、また、私たちを通して働く方法も与えていてくださいました。ここで、もうひとつ、御言葉を見てみましょう。

“いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。”
ピリピ人への手紙 4章4節

いつも感謝さえしていれば、望むものはなんでも与えられると言ったように聞こえたでしょうか? もしそう聞こえたなら、お許しください。申し上げたことの真意は、”神さまの目から見て、最善の物が与えられる。”ということです。

2020年9月分 (2008年2月に書かれたもの)
翻訳 奥脇省三