無学な普通の人達
“彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるの を知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来 た。” 使徒の働き 4章13節
世界中のすべての人たちに福音を伝えなさい、とイエスさまが弟子たちに言われ たと聖書に書いてあるのを読んだとき、私は思いました。 ”これこそ、私がなすべきことだろう。でも、自分に何ができるのか全くわかって いないではないか。” 確かに、自分に何ができるか見当もつかなかったのですが、私は人々に福音を伝 える方法を模索し始めたのでした。 そこで知ったのは、弟子たちが無学な普通の人達だと思われていたことでした。 そこでまた思いました。 ”私自身もまた無学で普通の人に相違ないじゃないか。だが、私もまた、キリスト に従う人間だから、おっしゃった通りにする努力をしてみるべきだろう。” そこで、私は始めたのですが、ーー最初は惨憺たる結果でした。私に注目してく れる人など、ただ一人もいなかったのです。それでも私は、イエスさまのメッセー ジを人々に伝える方法を求め続けていました。 そこで思い当たったのは、イエスさまが、ご自分の教えや行いを人々に記録させ ていたということでした。弟子たちは、おそらく一人が一巻の書を書き、それを数 少ない人々に伝えたのでしょう。伝えられた人達はそれのコピーを作って、さらに 別の人たちに伝えていったのです。 やがて、弟子たちはすべて死に絶えましたが、彼らが書いたものはコピーされ続 けていきました。一回に一冊のコピーでしたが、それは、人々に分かち合われてい きました。書き記された御言葉は広がり続け、やがて数百万部が印刷されるように なります。そしてある日、その一冊を、この私が読む事になったのです。 そこで私は行動を起こす決心をしました。自分がどうしてクリスチャンになった のかを述べた短いお証しを書きました。さて、これを人々に読んでもらうにはどう したら良いのか? 私は、”私のお証し”と題をつけたこの小冊子を綺麗なセロファ ンで包み、人目につきやすいところへ置いたのです。 私が見守っている中で、人々はセロファンを取り上げ中を見ていました。すぐに 投げ捨てる人もいましたが、ポケットにしまう人たちもいたのです。ついに私は、 人々に福音を伝えることが出来たのです。このことは、私を興奮させるのに十分な 出来事でした!
後に私は、ある印刷所で働く機会を与えられますが、そこで印刷機という素晴ら しいものを学ぶ事になります。私の福音伝道は、”私のお証し”を印刷する術を学ん でから大きくなりました。大学に入った私は、大学の出版局で働く機会を得て、出 版という物の威力をさらに知る事になります。 ここで皆さまに言いたいのは、私が、自分に出来ることを実行した、という事で すーすなわち、一回に一歩の小さな歩みーという事です。神さまは私に、まず十人 の人へ福音を語らせて下さいました。そして、それをさらに広げて行かれました! これこそが、神さまの原則のひとつなのです。 私たちが蒔く種がひとつでも、刈入れの時にはもっと多くの種が手に入ります。 もし私たちが、持っている種すべてを蒔けば、さらに多くの種を蒔く機会を与えて 下さいます。 あなた方も私も、ともに主の働き人です。一人一人が与えられた機会をどのよう に生かしているかに従って、主は私たちを用いて下さいます。 福音を伝える手段が与えらるように神さまに求めて下さい。誰かが指示するのを 待っているようではいけません。待っていれば、機会はあなたをやり過ごしてしま うでしょう。自分には特別な才能はありませんと告白することも必要かも知れませ ん。だが、出来ないというどんな理由も通用しません。イエスさまは、こんなこと をおっしゃっているからです。
“そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主 に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。” ルカの福音書 10章2節
自分に実行可能な新しいアイデアを与えてくださるように、神さまにお願いして 見ましょう。あなたがそれに最善を尽くせば、主は更なる機会を与えてくださるで しょう。
翻訳:奥脇省三