挫けてはなりません
ご自分の処刑が目前に迫った時、イエスさまはこんな祈りもできたはずです。
”父よ、もしわたしがこんな死に方をしたなら、弟子たちは、恐怖のあまり、あなたの御言葉を全世界に伝えることなど出来なくなってしまうでしょう。わたしの教えを信じた者たちも、あれは偽教師だったに違いないと思うかも知れません。わたしを守ってくださるなら話は別ですが。”
十字架の上の死は、この世の抱える問題を解決するために神さまが取られた手段ではあり得ない、なぜならーーと言う理屈を、イエスさまは嫌と言うほど聞かされたはずです。
しかし、イエスさまの心は揺らぐことはありませんでした。イエスさまは神さまを信じ、喜んですべてを委ねておいででした、こんな祈りをされるほどに:
”わたしの願いではなく、御心の通りにしてください。” ルカの福音書 22章42節
私もあなた方も、さまざまな問題を抱える中で、こんな思いを持つかも知れません:
この環境は、神さまが間違いなく変えて下さるに相違ない。私をこんな状態にしておかれるはずはない。このままでは、私の人生は失敗だ。でも、神さまは決してそれを望んでおられないはずだ。
しかし、神さまはイエスさまの、環境ではなく、信仰に応えておられたのでした。それ故、イエスさまの弟子たちは、全世界に福音を伝えるという神さまのご計画を実行する人たちのリーダーになったのです。信じる者たちの数は急速に増え続け、たちまちのうちに大群衆になっていきました。神の御子、イエスへの信仰を捨てる代わりに、自らの命を捧げたクリスチャンも沢山出てきました。周りからなんと思われようと、何をされようと、彼らはいつも喜んでいて、キリストにある勝利を歌っていました。
そう、一見、イエスさまは敗北したように見えます。しかし、イエスさまは、神さまに忠実であり続け、神さまもまた、イエスさまに忠実でした。弟子たちもまた、鞭打たれ、石打ちの刑を課され、投獄されて、一見、敗北したように見えます。神さまも、あるときは、すぐに、彼らを牢獄から助け出されましたが、あるときは、そこに長く留め置かれたりしています。しかし、その場所で彼らは、2000年もの間、人々の心を変え続けるという偉業を成し遂げたのです。
”私の願いではなく、御心の通りにしてください。” この言葉を言う時は、必ず私たちにきます。その時私たちもまた、疑い、恐れる理由を沢山思いつくでしょう。しかし、私たちはその時、神さまに仕える人生を選択するべきなのです。私たちは、一人の人に証しすることもできますが、10人いや100人にも証しできるでしょう。すると、彼らがまたそれぞれ、10人、100人の人々に御言葉を伝えて行くことになります。
神さまは、私たちが蒔く種を何倍にもすると約束されました。そして、この種を蒔く方法は沢山あります。例えば、妻のメアリーは、電話に出る時、”Jesus loves you !,
イエスさまは愛してくださいます。”と言い、私は、Praise the Lord, 主を賛美します。”と言うのです。これは、本当に小さな種かも知れません。しかし、”もし人が、自分に出来ることをするなら、神さまはそれを何倍にもして下さる”のです。
もし私たちが、聖書やトラクト、本などを人に配れば、イエスさまが弟子たちに命じられた使命と同じ使命の一部を果たしていることになります。神さまは、私たちのすることを何倍にもしてくださいます。
あなた方が今日下す決断が、明日の可能性を育てることを忘れないでください。
翻訳:奥脇省三