クリスマスの贈り物
今年1年の間に、私たちが配っている ”プレイズ・ニュース” が送り返されてきたというケースが数多くありましたー”受取人死去”の印が押されて。つまり、プレイズ・ニュースのクリスマス版を毎年読んで下さっていた友人たちの中には、今年のクリスマスにはもうこの世にいない人たちが沢山いたのです。今、来年もクリスマスをともに祝えると自信満々の人たちがいますが、死亡通知をもらった人たちの中にも、昨年、同じように自信満々だった人たちを、私は沢山知っています。この人たちはもう、この世でクリスマスを祝うことはありません。この事を思う時、私はこんな祈りを導かれます。
”主よ、あなたの誕生日を祝わせてください。あなたが私に求める事を行い、あなたが望まれる人生を生きることによって。御霊が、私のなすことすべてを導いてくださいますように。”
”人に与えることは、クリスチャンとしての信仰の重要な部分です。”
しかし、この与えるという行為にも堕落があります。私たちは、クリスマス・プレゼントと言う義務を果たすため、必死になってデパートを走り回ったりします。クリスマス当日までに疲れ果て、それが終わると、やれやれと喜んだりするのです。義理で行うプレゼントは、与える喜びを人から完全にに奪ってしまいますーでも、本当は、そんなことがあってはならないのですがね。
今年のクリスマスでは、私たちのショッピングの中にも、イエスさまの御霊が存分に働かれるものとしなければなりません。与える喜びが、この世的な霊によって奪い去られることがあってはならないからです。どんなプレゼントでも良いのです。与えるすべての友人や親戚の人たちのために、喜びを持って主に感謝しましょう。来年の今頃、その人たちはこの世を去っていて、与える喜びをもう二度と得られないかも知れないからです。
プレゼントを買うお金があれば、お金を持っていることを喜びましょう。買うお金がなければ、持っていないことを喜びましょう。お金がないことを嫌悪すれば、そのために不幸になるかも知れません。でも、自分の人生も、所有するすべてのものも、すべて神の御手の中にあることを信じるなら、心が解放され、どんな人生を送っていても、それをエンジョイできるのです。
与えることは、それが良きものであるように努めなければなりません。例えば、お気に入りだからと言って、一人の子供に沢山のプレゼントを買い与え、他の子達にはほんの少しとか、全くあげないなどと言うことをすれば、大きな不親切と言う罪を犯したことになります。借金があるのに豪華なプレゼントをすれば、支払い不能となるでしょう。結果として、人に迷惑をかけることになります。与えることには、バランスが必要なのです。
さて、あなたの今年のクリスマス・プレゼント、どんなバランスが用いられるでしょう? 忘れてはなりません。これは、キリストの誕生日なのです。クリスマスのプレゼントのうち、何%が主に捧げられるものとなるでしょう? 正しいバランスが取られるような判断をお勧めします。主が望んでおられるものを捧げるのです。
私について言えば、主がプレゼントとして望んでおられるのは、私たちが主の愛を牢獄にいる人たちと分かち合うことだ、と確信させられていました。私たちが、誰か牢獄にいる人を助けるなら、それは主を助けたことになると語られたのです! 囚人の中には、恐ろしい犯罪を犯した人がいるのを、主はご存知です。しかし、そんな人たちも、時には霊的な助けが必要なのです。そんな人たちを、牢から出してあげなさいなどと、主はおっしゃいませんでした。”訪問しなさい。”と言われたのです。今年のクリスマスに、私たちの団体、”賛美の財団” からのプレゼントを携えて囚人たちを訪問してください。そうすれば、キリストの愛を分かち合うことができます。他の誰に送るより多くのプレゼントをキリストに捧げることができるように祈りましょう。この祈りがあれば、クリスマスのショッピングすべてにおいて、本当のクリスマスの心を実現できます。なすことすべてにおいて、キリストがその中心におられるようにして、今年のクリスマスを、今まででもっとも楽しいクリスマスとしましょう。(1995年12月に書かれたメッセージです)
翻訳:奥脇省三